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- 2025年7月22日
工作員フィットを実践するためには、現実世界の工作員や特殊部隊の態様を調査する必要があります。
このような戦闘員が行う訓練をすべて模倣することは難しいので、その中で一民間人でも可能なもの、一般的な体力トレーニングやスポーツとして取り組めるものを抽出するように努めています。
この記事では、ソ連・ロシア軍の特殊部隊部門として有名な「スペツナズ」に関するメモを紹介します。
スペツナズはロシア語で「特別目的(spetsialnogo naznacheniya)」を意味する略語であり、ソ連軍・ロシア軍において歴史上運用されてきた特殊部隊を指す広い定義の言葉です。
欺へんや陽動を任務とする部隊はロシア内戦のときには既に運用されていたといいますが、これが現代まで連なるスペツナズの原型とされます1。
第2次世界大戦時には特殊任務を付与された部隊が陸軍・海軍に設置されました2。こうした特殊部隊のほとんどは、戦後いったん運用停止しています。
ソ連情報機関職員スドプラトフは暴露本『KGB衝撃の秘密工作』3において、第2次世界大戦後のスペツナズ部隊が、米陸軍グリーン・ベレー(ケネディ大統領の時代に本格運用が始まった)に対抗して創設されたものであると説明しています。
なお、ほぼ同名の意味の言葉で「オスナズ」(Osnaz)という部隊もあり、こちらはソ連の情報機関NKVDが起源です。
ソ連研究者や亡命者の説明によれば、ソ連では各機関や組織を競合・競争させることで権力の独占を未然に阻止し、体制の存続を図っていました。よってオスナズもほぼ類似の戦力と任務を付与されていました。
身の回りにも、部下同士をいがみ合わせることで団結を阻止する人等が散見されますが方向性は似たようなものでしょう。
スヴォーロフ本
ヴィクトル・スヴォーロフ(Viktor Suvorov)4はソ連の亡命軍人であり、ソ連軍や情報機関に関する様々な書籍を出版しました。
本名はVladimir Bogdanovich Rezunといい、情報将校としてGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)で勤務し、派遣先のジュネーヴから亡命しました。
2025年8月現在、まだ存命のようで驚きましたが、1947年生まれなので完全な戦後世代です。
冷戦時代末期(80年代)のソ連軍に関する書籍としてよく読まれていたようで、ボロボロの洋書がAmazonで投げ売りされていたので集めて読みました。
ソ連やロシア関連の歴史書・調査報道等を読んでいると、ソ連時代の官僚機構がそのまま名前だけ変えて保持されていたり、あるいは軍人や技術者・科学者がそのまま継続して勤務していたりということが多々あります。
冷戦時代のソ連軍のシステム等は、現在も残っているものがあるのではと推測できます。
『Inside The Soviet Army』では、陸軍、海軍の各級部隊に設置されたスペツナズ(陽動部隊(Diversionary Troops)、秘密部隊)について言及しています。
陸軍のスペツナズは各軍団に配置され、敵の前線の背後で暗殺や陽動、潜入破壊工作を行います。
最も秘匿性が高いものが司令部中隊で、平時は様々なスポーツチームとして各国首都を偵察します。最精鋭はモスクワ軍管区の司令部中隊で、平時はオリンピックチームとして活動しています。
ちなみに、KGBの特殊部隊は、平時はサッカーチーム「ダイナモ(Dinamo)」として活動していました。
海軍のスペツナズは、専用の小型潜水艦を持ち、フロッグマン(潜水部隊)、落下傘兵、通信中隊を持っています。構成員は陸軍と同様、平時はオリンピックなどで活躍するマリンスポーツ選手でした。
海軍スペツナズ旅団は、陸上部隊よりもはるかに装備が多く、また危険を伴う任務に従事しました。
海軍スペツナズは潜航艇を利用し敵地や敵艦に接近し、あらゆる破壊工作をおこなうことができます。
スヴォーロフによれば、ソ連軍の各所に配置されたスペツナズおよび情報(諜報)部隊は全てGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の指揮下にあり、また常に充足率は100%でした。
トレーニング
スヴォーロフの著作『Spetsnaz』は、その書名のとおり、スペツナズの実態に迫る本です。
西側諸国の特殊部隊とは異質の風習や文化があり興味深いです。
スコップ
スペツナズのメイン武器の1つはスコップだそうで、スコップで敵を攻撃する訓練を積んでいました。
どのような実験かは不明ですが、銃を持った相手にスコップを投げると、相手は射撃するのではなく飛びのくことが多かったそうです。
このエピソードを読んで、私もカーボンスチール製折り畳みスコップを枕元に配備しました。
険悪な職場環境
特殊部隊というと強い絆や仲間意識を連想しますが、スヴォーロフによればスペツナズは非常に殺伐とした組織でした。
- ソ連軍全体と同じように、スペツナズ部隊においても、古参兵によるリンチやいじめが常態化していました。
- スペツナズの訓練はソ連軍で最も過酷であるため、多くの発狂者、自殺者、脱走者が発生しました。
米軍特殊部隊との最大の違いは、チームとしての団結の欠如です。
スペツナズたちは、極限の状況では人間は獣になると考え、だれも信用してはならないと考えていました。
部隊のなかでは常に権力争いがあり、いじめやリンチ、喧嘩が絶えませんでした。一般的に想定されるような同志愛は皆無でした。
こうした風習は、スペツナズではなく、牢獄が起源です。スペツナズと懲罰大隊(Penal Battalion)は密接な関係にありました。
エリート教育
特殊部隊員の選別は、軍隊だけで行われるのではありません。
ソ連は高度に軍事化された社会でした。
子供たちは、中学生ぐらいの年齢からスポーツ少年団に入り、パラシュート、バイアスロン、団体競技、その他のスポーツや訓練に取り組みます。
この時点から、既にスペツナズ要員選抜が始まっています。
スペツナズの軍曹候補者は各中隊・大隊から9名が選ばれ、訓練課程に送られます。
この訓練ではあらゆる人間性が破壊されますが、その中でスペツナズ軍曹になれるのはごく一部です。
訓練があまりに過酷であるため、スペツナズの軍曹は精神に激しい憎悪を宿します。この憎悪が、部隊での恐怖政治や、敵に対する無慈悲な攻撃に活かされるのです。
スペツナズ要員に選抜された優秀な将校は、軍曹や兵に負けない運動能力・身体能力を持っており、すぐに業務を習得し指揮官として活躍しました。
小人閑居して不善を為す
スペツナズでは、訓練よりも実戦投入を重視しました。
ロシア革命の契機になったのは、前線で疲れ切った兵隊ではなく、首都サンクトペテルブルクで温存されていた近衛兵でした。近衛兵は、無益な戦争で命を失うのが嫌で、当時のロシア政府に反旗を翻しました。
つまり、兵を遊ばせておくことは秩序に対する脅威につながるとソ連首脳部は考えます。
それよりは実戦の場で損耗してくれたほうがよいということになります。
倫理と法規
血や直接的な殺害に慣れるため、屠畜場からもってきた血のタンクをつくりその中で訓練をさせたそうです。また、妊娠した猫を、錆びたカミソリだけで殺害し、中の子供を数える訓練もありました。
スペツナズを含め、ソ連軍では国際法規について教えらていませんでした。将官から兵隊まで、「赤十字」の正確な意味を知らなかったとのことです。赤十字マークを攻撃してはいけないという規則はあるが、それがなぜなのかは意図的に伏せられていました。
スヴォーロフはこの事実について次のように説明します。
ソ連は、国際条約や協定を重視しませんでした。外交の背後にある国力・軍事力によって、そうした条約は反故にされるのが当然だからです。
これは、ナチス・ドイツによるソ連侵攻などの前例から、ソ連が学んだ教訓・国是です。
よってスペツナズや一般部隊も、ジュネーブ条約などの各種交戦法規をまったく重視しませんでした。
スポーツは兵器
赤軍創設期から戦闘訓練を担った人物が、柔道や空手など各国の武術をベースに開発したのがサンボです。スペツナズが用いるコンバット・サンボは、あらゆる武器を利用する格闘術です。
スポーツ化されたサンボのソ連選手権では、陸軍系のCSKAが圧倒的に強かったそうです。陸軍に次いで、秘密警察系のDinamo、兵器産業をバックボーンにしたZenitといったチームが優勝を競いました。
ソ連最大のスポーツ団体は、陸軍中央スポーツクラブ(Central Army Sports Club、CSKA)でした。
優秀なアスリートの多くはCSKAに所属し、軍人としての階級を与えられ、給料を受け取りました。このようアスリートの多くはスペツナズ構成員であり、スポーツ選手として各国を訪問し、偵察活動を行いました。
その他の言及
ハッサン・バイエフ『誓い』5は、チェチェン人の医師による第1次チェチェン紛争の回想録です。
この中に、ロシア軍側が投入した傭兵(コントラクトニキ)に関する目撃談があります。
ソ連崩壊直後のロシア軍の現状や、スペツナズの実態に関する言及を確認することができます。
傭兵(コントラクトニキ)は残虐行為の担い手でした。彼らは刑務所から出された犯罪者であり、スペツナズ(特殊部隊)として訓練をうけてきました。
バイエフによれば彼らは普通の人間ではなく、ほとんどいつも酔っ払っており、日光浴をするか、拷問部屋をつくってチェチェン人をつかまえて殺すかしていたといいます。
ロシア軍は当時予算不足であり、傭兵たちの給料もまともに支払われませんでした。そこで傭兵たちは戦地で誘拐や略奪に従事しました。
そうした傭兵たちの下で勤務していたのが、十分な訓練を受けることなく派遣されたロシア人新兵でした。
新兵たちは傭兵からリンチされ、酒を持ってこい、チェチェン人を誘拐して来いなどの命令を受けていました。
恐怖の戦闘員から学べることは
スペツナズは、ソ連という特殊な国家において創設された特殊部隊です。
このような背景を持った特殊部隊から何かを学ぶ、生活に取り入れるとすれば、慎重に検討する必要があります。
ソ連自体が、現代日本とはかなり異質な世界(あるいは、異質であってほしい世界)です。
ソ連共産党は社会主義社会ではなく牢獄に似たものを作り出してきたとしてしばしば非難されるが、これは正しくない。……万人が平等な真の社会主義とは、牢獄に似ているのではなく、牢獄そのものである。
このような社会は、壁に囲まれ、監視塔と番犬に警備されなければ存在できない。なぜならば人びとは常にこのような体制から逃げ出したいと考えているからである。それも牢獄と同じである。
友よ、あなたは正しい。わたしたちは奴隷である。わたしたちはひざまずいている。わたしたちは沈黙している。わたしたちは抗議しない。(『Inside The Soviet Army』Viktor Suvorov)
軍は、ソ連兵のだれもが社会主義を嫌っていること、かれらが資本主義国にしか亡命しないことを承知している。だれも社会主義中国へ亡命しようなどと考えないだろう。
(『Inside The Soviet Army』Viktor Suvorov)
このような国家において作られた特殊部隊も、私の考え方とはかけ離れたブラックなシステムや文化を持っています。
今回引用した亡命ソ連軍将校のスヴォーロフも、自伝等で回想していますが、とても嫌な思い出という印象です。
フィットネス活動の観点から参考にできることといえば、スコップを武器として活用する点や、トレーニングにおいて脚力を重視する点くらいでしょうか。
スペツナズは、特に脚力を重視するため、幅跳びのできる兵はスペツナズにスカウトされていたそうです。
これを受けて、普段の生活ではウェイトトレーニングやラッキング(重りを背負っての行進やランニング)を定期的に取り入れています。
またスコップは常に枕元に設置するほか、思い出したときに自室でブンブン振り回しています。
冬にクロスカントリー・スキーに行ったときも、人目につかない山中で銃剣道のようにスコップを振り回しました。
サンボについては、自分の通っているレスリング・クラブでやられている方がおり、いつか習ってみたいと考えています。
まとめ:スペツナズ(ソ連)から学ぶフィットネス
- スコップの配備と素振り
- 脚力……脚筋トレ、ラッキング、荷重ランニング
- 格闘技への取り組み(サンボ、打撃、寝技、武器術、その他)
- 海軍スペツナズにならい、様々な特殊潜水やビークル(水中スクーター)の技能を習得する