- 2025年7月22日
自衛隊の術科学校(器材の整備等職種に係る技術的教育訓練を行う機関)に入校していたとき、教官が日航123便災害派遣の話をしてくれました。
日航123便墜落事故は1985年8月12日に発生しました(私が生まれる前)。
教官は当時、埼玉県の入間基地あるいは熊谷基地に所属していたため(うろ覚え)、日航123便が群馬県に墜落した直後に捜索活動部隊の一員として派遣されました。
……航空自衛隊は、 8月 12日午後 8時 33分、中部航空隊司令官に対する災害派遣要請を受領し、現場において第 12師団長の下、遺体の捜索・収容活動を実施したほか、現場上空の航空機の安全を確保するため空中統制を実施した。 8月 30日以降現場における活動を終了し、原隊で待機した。1
捜索救難を行うために派遣された地上部隊は、山のふもとから墜落現場に徒歩で向かいました。ところが酷暑と山道の連続によって、周りの派遣要員はまもなく疲れて行進が困難になったとのことです。
教官は部隊のメンバーたちが荷物の負荷を少しでも減らすために、格納されている食料や水分等をそのまま山中に捨てているのを目撃したと話しました。
報告書や報道にあるとおり、事故現場は甚大な被害状況であり、遺体が広範囲にわたって散乱していました。
捜索範囲は、機体の破片が現場周辺約 2キロメートルに飛散していることから、捜索の徹底を期するため、捜索区域を 10プロックに分け機体の下、土の中、樹木等についてスコップ・熊手・ふるい等を使用して遣体の小片や遣品等に至るまでどんな小さなものでも発見収容に努めた。2
教官たちは活動の中で自ら運んできた缶飯を食べようとしましたが、現場の臭気が強く、救助・捜索ヘリコプターが飛来するたびに風が発生し、舞い上がった残骸や、無数の遺体の破片が食料の上に飛散するような状況だったそうです。
山中の移動で疲労困憊しているのみならず、栄養を補給することもままならなかったと当時の状況について説明してくれました。
教官はこの災害派遣を通じて、体力を鍛えておくことの重要性を確認したと私たちに話しました。
私が術科学校にいたのは12年以上前であり、学校の授業はほとんど忘れましたが、この話は今も覚えています。
またいざというときのために体力を維持向上させることの重要性について強く同意します。
具体的には:
- 30kg以上の装備を担ぎ、24時間以内に70㎞以上を行進できる能力
- 1時間あたり標高500メート程度の坂を上り下りする能力
- 真夏の高温多湿環境下で長時間活動できる暑熱適応力
こうした能力を身につけて、いつ事態が発生しても対応できる態勢を保持したいと考えています。
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