- Sea
- 2025年7月25日
この記事ではスカイダイビングと空挺降下・落下傘に関する体験談やメモを紹介します。
絶叫マシンの亜種?
私がスカイダイビングを始めた理由は以下のとおりです。
自衛隊時代の知人がスカイダイビングをやっており、もし機会があれば体験してみてはどうかということで誘われました。
航空自衛隊に約10年いたものの、私にはパラシュートの経験がありませんでした。
パラシュートはおろか、10年間のほとんどは飛行場から遠く離れた僻地や地下での勤務ということで、いわば地底人・洞窟人間といえる生活でした。
体験スカイダイビングは、インストラクターと一緒にタンデム状態で降下する形式なので、体験者が操縦することや、やることはほとんどありません。ただインストラクターに縛着された状態で飛行機から落ちるというものになります。
高度3000メートルから落ちてパラシュートで着地するというのは、面白いけど、まあ絶叫マシンのようなものか、という感想を持ちました。この時は私の中では単発アトラクションという位置付けで終わりました。
紙の中の落下傘
本やフィクションの中で、パラシュートや空挺降下について知ってはいました。しかし、それが自分自身で行う「スカイダイビング」という行為と結びつくことはありませんでした。
間接的な知識、かじっただけの知識と、実際にやるということには大きな差があるようでした。
体験スカイダイビングを催行しているクラブで、単独で降下したり、他人とフォーメーションを組んで降下したりするためのスクールを運営していることを知り、改めて落ちるという活動に興味を持ちました。
あわせて、過去に読んだ本から落下傘や空挺降下に関するメモを抽出することにより、スカイダイビングへのモチベーションがさらに向上しました。
第1次大戦に従軍し、後に赤軍のトップとなった者(ジューコフ、コーネフ、ティモシェンコら)も、多くは農村出身だった。
革命後に育った世代は共産主義の理想を信じ、また革命の本質は戦争であることを教え込まれた。軍はかれらの憧れであり、1930年代後半には航空機と落下傘降下が隆盛を極めた。
内戦後に生まれた若者は、大粛清の直接的な被害者ではなかった。古参党員の多くが粛清され、密告やNKVDによる拉致、拷問、処刑が常態化したが、これは人民の統合のために必要なものと考えられていた。
「われわれは偉業をなしとげる準備はしていたが、敵軍には備えていなかった」(『Ivan’s War』Catherine Merridaleのメモ)
イギリス空軍はドイツの攻撃により予想以上の損害を受け、戦闘機とパイロットの不足に悩まされた。海軍や陸軍飛行隊から臨時のパイロット志願者が採用された。
しかし、ドイツ空軍も、撃墜された機数に比べて満足のいく戦果ではなかった。
この時から夜間爆撃が開始された。
英独双方とも、離脱したパイロットを銃撃することがあった。イギリスではやれば叱責されたが、特にチェコ人、ポーランド人パイロットはドイツへの憎悪から頻繁に落下傘パイロットを撃った。
イギリスは一方で、洋上を飛ぶドイツの救難機を攻撃していたが、これらは高確率で救助されたパイロットを搭載していただろう。(『バトル・オブ・ブリテン』リチャード・ハウのメモ)
海軍スペツナズの秘密部隊
(略)
専用の小型潜水艦を持ち、フロッグマン、落下傘兵、通信中隊を持つ。
メンバーは陸軍と同様、平時はオリンピックなどで活躍するマリンスポーツ選手である。(『Inside the Soviet Army』Viktor Suvorovのメモ)
スペツナズはエリート部隊であり、その業務はテロリスト活動である。敵地の奥深く、前線から100-500kmの距離で活動するため、ヘリコプターではなく落下傘を用いる。
スペツナズの主な任務は、敵政府・軍の破壊と、核兵器システム・兵站の破壊である。(『Inside Soviet Military Intelligence』Viktor Suvorovのメモ)
技能教育の前に、私はインテリジェンス志望者を習志野の第1空挺団に入れるのがよいと思う。体力とサバイバル能力が適性の決め手である。駄目な者は1週間で辞めてもらえばよい。強靭な体力がなければ、やわな知性から脱皮できない。
(『日本のインテリジェンス機関』大森義夫)
光州事件……1980年、全斗煥政権が学生らのデモを空挺部隊で鎮圧し多数の死傷者を出した事件。
(『韓国現代史』文京洙のメモ)
ウェストポイント陸軍士官学校の生活で学んだことが、著者の精神的な基盤となる。なぜなら、現実の軍隊は、学校の理想とは異なるからだ。
初任地の第101空挺師団は、エリート集団という看板からはかけ離れたものだった。シュワルツコフは様々な部隊の現実を知った:
・出世しか考えない人間
・役に立たない下級の士官
・士気が低く、練度の低い兵たち
・使えない装備、制度、組織著者は尊敬する上官から、次のようにアドバイスを受ける。
腐った現実に直面した場合、そこから脱出するか、より高い階級になったときに改善するかのどちらかである。ただし、脱出した場合、「悪いやつらが勝ってしまう」。
その他、部下をやる気にさせる方法、統率方法には何通りもあること、等を学んだ。(略)
ベトナムにおいて、著者は軍事顧問として勤務した。南ベトナムの空挺部隊に配属され、戦闘に参加する。屍体の運搬や取扱いに関して細かく書かれている。米軍は戦死者の遺体を敬意を持って扱う。
現場の実情を見ずに無謀な命令を出す指揮官、マスコミ広報対策だけに力を注ぐ指揮官を、著者は反面教師にした。(『It Doesn’t Take a Hero』Schwarzkopfのメモ)
1994年から1995年にかけて、著者(Richard Holbrooke)はボスニア紛争当事者たちを訪問した。
冬の間、サラエボの戦争指導者たちは停戦に同意していたが、雪解けとともに再び戦闘が始まると予想された。
トゥジマン(クロアチアの指導者)はクライナ地区を取り戻すために攻撃を再開し、英米情報機関の予測に反して、セルビア人の排除に成功した。
国連平和維持軍は無力だった。NATOはクライナのセルビア軍航空基地やボスニアのセルビア軍を空爆したが効果がなく、逆にセルビア人は平和維持軍を捕虜にし、人間の盾にした。
英仏・カナダ国内ではボスニア撤退論が起こった。シラク大統領は、アメリカの介入がなければフランスは撤退するだろうと示唆した。
米軍が秘密裡に作成したNATOの撤退作戦計画は、2万人の米兵即時投入を伴うという、ほぼ不可能な内容(夜間空挺活動など)だった。NATOの計画をアメリカが拒否すれば、NATO(アメリカとヨーロッパの共同安全保障枠組)という安全保障制度そのものが崩壊することになる。
よって、アメリカは撤退するにせよ、ボスニア・セルビア人を無力化するにせよ、関与を深めるしかない状態に陥っていた。
国連の消極方針を受けて、セルビア人勢力はより大胆になった。1995年7月、ムラディッチ将軍はスレブレニツァにおいて捕虜や民間人の虐殺を行った。
(略)
ところが、直後に始まったクロアチアの攻勢が和平交渉の流れを変えた。
ミロシェビッチがクロアチアのセルビア人勢力を見捨てたため、クライナ・セルビア勢力が後退を余儀なくされた。こうして、セルビア人勢力が和平に応じる契機が生まれた。
著者は、外交交渉の成否は、常に地上の情勢(戦力)によって決まると述べている。(『To End a War』Richard Holbrookeのメモ)
イギリス軍は、委任統治領(パレスチナ)の人間に対し鞭打ち刑を行った。ベギンらユダヤ人にとって、これは自尊心への攻撃だった。
イルグン(ユダヤ人武装組織)は、「我々に鞭打ちを行えば、イギリス人将校も同じ目に合う』と警告をまいた。
この警告は、将校とは反目するイギリス兵たちからも人気を得た。
――イギリス軍空挺師団の兵たちは、「6千万のユダヤ人をぶっ殺してやる」などと無記名で殴り書きしていたが、その横に上官(将校)の所属部隊番号や官姓名をはっきりと書いていた。
刑務所にいたイルグン所属の少年が鞭打ちを受けたため、イルグンはイスラエル各地で4人の英軍将校、下士官をとらえ鞭打ちし、次は銃殺すると警告した。占領政府が鞭打ち政策を中止した結果は、国際的に大きく報じられた。
――英軍将校を鞭打つのは、決して愉快なことではなかった。しかし、正直なところ、誇り高い強大な軍隊の将兵数千人が、エレツ・イスラエルのカフェから一目散に逃げ出したときは、いささか満足感をおぼえた。(『反乱』メナヘム・ベギンのメモ)
空挺軍とスペツナズ:
1930年代、ソ連は空挺部隊を創設した。あわせて、軍事情報を目的とする専門部隊がつくられた。これが、スペツナズの創設とされる。
スターリンは空挺軍に非常に肩入れした。空挺部隊は30年代に予備役含めて100万人以上の規模に拡大し、陸軍とは独立した軍種となった。
空挺軍(VDV)は、独ソ不可侵条約締結後に、本土防衛から敵領土潜入へと役割を変更した。スターリンは、10個師団の空挺部隊を増設し、ドイツとルーマニア国境に配置した。空挺軍の任務は敵地に降下し陽動作戦を実施することだった。空挺軍の任務にはスペツナズに通じる特殊任務が含まれていた。
しかし、1941年のドイツ侵攻後、各級部隊は自前の偵察部隊を持った。
(略)
第二次世界大戦:
スペツナズの敵後方破壊工作が最大限に生かされたのは1943年である。名称「地雷敷設隊(Mine Layer)」と名付けられた特殊部隊(スペツナズ)が前線の奥に空挺降下し、現地パルチザンと協力し、鉄道や施設破壊を行った。(『Spetsnaz』Suvorov, Viktorのメモ)
公教育
1957年アーカンソー州リトルロックの高校に、黒人生徒が入学しようとしたために全米を巻き込む騒動となった。当初、市・州兵・白人社会・警察は皆、高校に通おうとする黒人生徒に対し憎悪を伴う威圧を行った。
暴徒たちの多くは労働階級であり、黒人の地位向上が自分たちの立場を脅かすことになると感じていた。人種統合に反対するアーカンソー州のフォーバス知事は、最高裁判決を無視して州兵を出動させ黒人生徒の通学を阻んだため、アイゼンハワーは実力行使に出た。
大統領は連邦軍から空挺部隊を派遣し、州兵を連邦政府の直接指揮下に置いた。
連邦政府から鎮圧された後、フォーバス知事は次の施策に出た。当時の法律では公立学校は人種統合を行わなければ連邦政府から助成金をもらえなかった。このため、フォーバスは公立高校をすべてつぶし、黒人が高校に通えないようにした。白人生徒のためには即席の学校をつくった。
(『黒人差別とアメリカ公民権運動 ―名もなき人々の戦いの記録』ジェームス・M・バーダマンのメモ)
CIAは、韓国や台湾の腐敗政権から届くゴミ情報を選別する作業に忙殺された。
朝鮮戦争前夜、ソ連スパイがアメリカの通信諜報部門に潜伏し、極東の共産主義指導者たちの通信がまったく解読できなくなった。これを教訓に、NSA(国家安全保障局)が創設された。中国が朝鮮戦争に参戦することはない、とCIAが報告した矢先、中国軍が大量に朝鮮半島になだれこみ、米軍を瀬戸際に追い詰めた。
問題は、CIAのリソースの大部分が、ウィズナーの怪しい秘密工作訓練に費やされ、本来の情報業務がおろそかになっていることだった。
北朝鮮に対しても、亡命者や工作員をパラシュート降下させる作戦がすすめられたが、ほとんどは殺害されるか拷問されて偽情報を送る人間となった。――失敗を成功といいくるめる能力がCIAの伝統になりつつあった。過ちから学ぼうとしたがらないことが、CIAの文化になった。
――ダレスとウィズナーは自分たちの戦略を勝手に作り上げた。まず、パラシュートで共産中国に降下するアメリカ人を募った。……アメリカ人の志願者がなかったため、CIAは何百人もの中国人工作員を中国本土に、しばしばあてずっぽうにパラシュート降下させた。
……行方不明になると、彼らは秘密戦争のコストとして忘れ去られた。(『CIA秘録』ティム・ワイナーのメモ)
落下傘・空挺降下は20世紀に導入された技術であり、常に戦いや暴力の最先端にあったことが伺えます。
スカイダイビング・スクール
スクールの講習を受け、卒業することで、単独で降下することができます。スクールを出るまでは、体験ダイビングのようにインストラクターとタンデムで落ちるか、あるいはインストラクター同伴で落ちることしかできません。
入校までに半年ほど待機し、ようやくスクールが始まりました。
まず、スカイダイビングの基礎的な事項を座学で教わり、基本的な降下姿勢や、着陸時のキャノピー操作要領を習います。
座学はインドア・スカイダイビング施設で行われ、授業の後半には実際に屋内での姿勢保持を体験しました。
最初の課程であるAFF(Accelerated Free Fall)では最低7回、次の課程であるRW(Relative Works)では数回程度、実際のジャンプを経験し、課題をクリアします。
課題は徐々にステップアップする方式であり、まずはインストラクターに囲まれた状態で降下し、自分でパラシュートを開き、着地することを学びます。
その後、徐々に落下中の姿勢保持や移動、方向変換、態勢復帰等を学びます。また、意図した地点にうまく着地するための技術も学びます。
高度3000メートルの飛行機から飛び降りた場合、自由降下、つまり真っ逆さまに落ちる時間は1分弱です。この限られた時間で様々な課題をこなし、また高度確認や安全確認もしなければならないので、最初は大変でした。
しかし、このような極限状況で自分のやるべきことを冷静に実施するという活動は、精神の平静を鍛え、またリスク管理技能を向上させるという意味で非常に効果的なのではないでしょうか。
最初は、富士山と同じ高さから飛び降りるということで、不安も感じます。私は、最初の2回くらいまでは、飛行機が高度を上げるたびに「失敗したかな」と若干後悔していました。
しかし、人間の最大の武器は慣れることであるという私の考えがここでも実証され、すぐに恐怖や不安よりも楽しさが大きくなりました。
AFF/RWスクールを卒業した後は、ジャンプ回数を重ね、またキャノピー(パラシュートのこと)のパッキングなどを教わり、ライセンスを取得します。
私は現在この段階ですが、スカイダイビングクラブが運営停止してしまったため、今後どうしようかと考えています。
トム・クルーズをさがして
これから生きていくために必要なのは、いかなる環境下でも生き延びる、またどこにいようとも敵を追跡するスキルであると考えています。
自身のキャリアアップのために資格をとることが重要視されていますが、わたしに必要な資格のひとつがスカイダイビングです(あとは、洞窟潜水やセスナ操縦、FPVドローン、ロープアクセス等)。
工作員フィットを始めるようになって、トム・クルーズの偉大さがわかりました。
トム・クルーズのように、肉体的に衰える年齢になってもサバイバル・戦闘技術を保持することが大切だということを日々の方針として筋トレしようと思います。
なお、トム・クルーズの映画で一番好きなのは『コラテラル』です。劇中では間の抜けた暗殺者役で、特にパラシュートは使いませんが、元米陸軍グリーン・ベレーという裏設定があります。
-
暑熱トレラン対策と装備品
記事がありません