格闘技の思い出(1)

健康維持の歴史

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私は運動やスポーツが特に好きというわけではありませんが、格闘技だけは20年ほど続けています。

  • 剣道……3年(幽霊)
  • 空手(伝統派)……3か月
  • キックボクシング……断続的に15年程度
  • 銃剣道……3年
  • 修斗……2年
  • ボクシング……1年弱
  • ブラジリアン柔術……8年
  • レスリング……3年(低頻度)

これまでに仕事の関係もあり、1つの格闘技やジムに長く通うことはあまりできませんでしたが、現在続けているブラジリアン柔術は、通算8年程度になります。
継続することの重要性を格闘技でも実感しています。

この記事では私の体験した格闘技や武道の経験について紹介したいと思います。

球技がダメ

子供の頃に野球やサッカー、ドッヂボールといった一般的な球技をやる機会がありましたが、自分は非常に小柄だったのでハンディキャップを痛感する場面が多々ありました。

  • ドッヂボールを片手で持てない(スローイン式の投球しかできない)
  • サッカーボールを蹴っても飛ばない
  • ソフトボールが握れず、遠くに投げられない
  • バスケットボールのゴールにボールが届かない

このような経験の積み重ねでまず運動が嫌いになりました。

ボールを使った運動はやる気がおきないが、武道や格闘技ならいいのかもしれない、と思い、中学校では剣道部に入りました。

剣道

剣道部に入り、最初の1年は人並みに練習したものの、練習の際にガミガミ怒られるのが嫌でほどなくして幽霊部員になりました。

「なんでそんな怒られなきゃならんのか」という気分になり、部活や体育会も苦手になりました。

格闘技ではありませんが、高校で入ったワンダーフォーゲル部(登山部)も、顧問とトラブルになり半年程でクビになったので、部活の問題というよりも、わたしが部活動に適応していなかったようです。

剣道をやって何か身についたかといわれるとあまり思い浮かびません。すり足や踏み込みは、後々やらされる銃剣道で嫌でも使うはめになりましたが……。

竹刀や道具は処分した記憶がありませんが、どうなったか全く覚えていません。

キックボクシング

大学入学と同時に、伝統派空手のサークルに入ったものの、3か月程度で辞めました。
これはサークルの問題ではなく、そもそも学校にほとんど行っておらず、足が遠のいたのが理由です。

授業に出ない時期が数年続きましたが、その間は教室ではなく大学施設のジムでひたすら筋トレをしていました。
おそらく、教室や講堂にいった回数より、ジムに行った回数のほうが多いのではないかと思います。

その後だいぶ時間が経って、何か格闘技を始めようとおもい、池袋にあるOGUNI-GYM1に入会しました。
キックボクシングを選んだのは、手と足をどちらも使えること、首相撲などの組み要素もあること等が理由です。

習い始めてみるとまず体が重すぎて(当時80kgオーバー)動かないのと、自分のこぶしや足が痛いのとで慣れるのに時間がかかりました。

地道にサンドバッグやミット打ち、マススパーをやっているうちに脂肪が落ちて、動きも改善されるようになりました。

人によって重視するポイントがあるかとは思いますが、自分は特にディフェンスに力を入れていました。理由は顔にパンチや蹴りをもらうと非常に嫌だからです。
大柄な相手を打撃で倒すのは大変ですが、ガードしていれば瞬殺されるリスクは下がります。
とにかくガードや回避を意識して練習するようになりました。

約3年間、ジムで練習を続けた結果、どうにかそれなりにキックボクシングらしい動きができるようになり、プロテストに合格しました。

スーパーライト級で合格 出典:OGUNI-GYM

キックボクシングを集中して習えたことは今でも自分の糧になっています。

  • 直接攻撃に耐える
  • 打撃や首相撲といった近接格闘の基礎を学ぶ
  • ディフェンスの重要性を学ぶ

自衛隊時代

運動部や部活、集団行動のできない自分ですが、なぜか自衛隊に入ることになりました。
いつの時代でも「若者はすぐ辞める」と言われていますが、10年間自衛隊が続いたのは奇跡といえるでしょう。
ちなみに私の父親は最初に就職した会社に1日も姿を見せず辞めたとのことで、一般的な若い方は皆十分働いているという認識です。

自衛隊に入隊すると、2年毎の転勤や、臨時勤務・出張のため、1つのジムに通い続けることが難しくなりました。
よって、行く先々にあるジムや格闘技サークルに通うようになりました。

柔道

教育期間中に柔道クラスがあり、約半年間教わりました。
細かいことを言うと、高校でも柔道の授業があったのですが、私は(引きこもり系の)不登校だったのでほとんどやる機会がありませんでした。

柔道クラスでは基本的な受け身、組手、投げ技(大外刈り、大腰、体落とし、背負い投げ、一本背負い等)を習った後、チーム対抗での団体戦を最後にやりました。

私は筋トレマンだったので、付け焼刃の柔道技とフィジカルごり押しで大体の初心者に勝つことはできましたが、大学柔道出身者と戦ったときに帯取り返しをやられて負けました。

短い期間でしたが組技は非常に楽しく、また機会があればやりたいという気持ちが強くなりました。

打撃をやっている方は皆感じることかもしれませんが、寝技に対する恐怖心というものがありました。仕組みがわからず、サブミッションからどうやって逃げるか、見当がつかないからです。
そういった苦手意識を克服したいという思いもありました。

ボクシング

教育隊を卒業すると、沖縄勤務になりました。
近場に何か格闘技ジムはないかということで探したところ、元世界王者平仲明信が運営するボクシングジム2を見つけ、そこに通いました。

那覇基地での勤務が終わると、毎晩自転車でジムに行って練習した後、ラーメンを食べる日々が続きました。

ボクシングはキックボクシングとある程度通じるところもあり、比較的すぐに慣れました。
影響を受けた職場の同僚も何人か入会し、マススパーリング大会でお互いに対戦もしました。

臨時勤務や出張などであまり長い期間はできませんでしたが、パンチの精度を上げることはできたのではないかと思います。

銃剣道

銃剣道はほぼ自衛隊しかやっていない武道です。

道着のようなもの、あるいは白い格技服(私たちは「オウム真理教みたいな服」と呼んでいました)を着て、木の銃で相手を突いてポイントを取るという競技です。

現在と全く変わらない銃剣道の様子(1942年) 出典:Wikipedia(パブリック・ドメイン)

北海道に転勤すると、どういうわけか銃剣道をやらされることになり、ほぼ2年間、強化期間には毎日朝から夕方まで、銃剣道の練習に取り組むことになりました。

一応、私は無線整備・有線整備等の担当として自衛隊に入ったはずですが、1日体育館でちいかわのように木銃を突き出していると、「自分は何をやっているんだろう」という気分になりました。

無駄に筋トレをして体力があったせいか、本来、選手を引率する立場であるはずが、競技監督の指示で団体戦にも出されました。

とはいえ、試合は非常に盛り上がりました。
二度とやることは無いと思いますが、今はいい思い出となっています。

修斗

修斗は初代タイガーマスク佐山聡氏が設立した総合格闘技団体です。

北海道で私が働いていた基地に、たまたま修斗の指導者資格を持っている方がおり、その格闘技道場支部に参加させていただくことができました。

打撃や寝技の練習を行い、また練習試合に出る機会にも恵まれました。
寝技といえばタックルを切るくらいしかできない状態でしたが、練習を通じて様々な技術を身につけることができました。

指導者の方とは今もソーシャルメディアで交流があり、修斗クラブもにぎわっている様子です。

10年以上前の動画がまだ残っていました。
今見返すと、グラウンドでの攻撃はほぼなく、打撃オンリーで対応しています。

再びキックボクシングとグラップリング

沖縄、北海道と続いて、ようやく関東に帰ってきたので、最寄り駅のジムであるポゴナ・クラブジム3に入会しました。
このジムには様々なクラスがありましたが、自分はキックボクシングとグラップリングを選びました。

キックボクシングクラスは、決まった時間に皆でシャドー、ミット、スパーをやる集団指導方式でした。
グラップリングクラスでは、様々なサブミッションや投げ技等を教わりました。

横ではブラジリアン柔術のクラスが行われており、毎回、スパーリングに付き合ってほしいと依頼してくる方がいました。
自分は柔術やってないので道着持ってません、というと、ズボンを貸してくれて、スパーリングをしました。
当然、何も知らないので一方的にやられました。

寝技や関節技を勉強するならブラジリアン柔術もいいのかもしれないと思いました。


(続く)

  1. オグニジム ↩︎
  2. HIRANAKA BOXING SCHOOL GYM ↩︎
  3. POGONA CLUB GYM ↩︎
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